2017/04/26

 2017年、私は22歳。専門学校を卒業し、働きながら受験した武蔵野美術大学多摩美術大学にどちらも合格してしまった私は、すこし前に急に今まで勉強していた色んなことがどうでもよくなってしまった。受験をしていたときのモチベーションは、専門学校時代に出会った人たち、特に所属していた広告ゼミの同期への劣等感だったと今は思う。いや、劣等感を持っていたからなけなしのプライドを守るために学生を延長して少しでも良い場所へ行きたい、成長をしたい、という今思い返せばとても安直ではずかしい動機を持っていた。

 通っていた専門学校の環境が悪かった、良い友人を持てなかったとか、一切とは断言できないけどもそういうことではなくて、なにかを作り出すことの、喜びも、苦しみも、いまは麻痺してしまっている。それに、広告という大きな対象を動かす、扇動するものへ興味をなくしてしまったのは誤魔化しようがないことだった。

  気がつけばいつも私の生活は知っているだけ、好きなだけ、というもので囲まれている。私はいつも何とも戦わない。すべてを許しているけれど、すべてを諦めているのだった。心理学には快不快原則という、動物は本能的に不快な感情から避けるように行動することを指す用語がある。それに則れば、今の状態はうまれた不快を避けず、心を殺してそのまま受け入れているようなものだ。自分の感じていたことや考えていたことを反故にしてボンヤリと生きることは、いつか感性と自意識の間に軋轢を生んでしまう。それがものを作ることへ対しての諦めへつながり始めたのは、かなり前だったのだろう。 

 好きなものはたくさんあるのに、なにひとつ愛せない、そんな状態がずっと苦しかった。苦しかったことにすら気付いていなかった。

   芸術に関わっている状況にある限り、あらゆるものへのブレイクスルーを求めなければ、と近頃は思う。自分自身、そして自分が好きなものを、ただ好きなものとして囲い込むのではなく、愛することができればブレイクスルーは従属してくるものではないのだろうか。愛することはおそらく、先天的に人間に備わっている機能でない。与えられるだけではだめになるし、与えるばかりでもだめになってしまうのものなのだろう。

  22歳になる人間が今まで、芸術に大きく関わりながら生きてきたというのになににも愛を持つことが出来なかったことは、はずかしい気もする。だけどこのまま生きていくのはもっと恥ずかしくて苦しいのだろうから、ここでぐっと素直になっておこう。色んなものを壊しながら、それでも何も感じないようなふりをして生きるのは、もう嫌である。

 

 ブログのタイトルが思いつかなかったので、暫定的に曽我部恵一のカバーがよくて最近よく聴いているCarnationの曲から引っ張った。Carnationを聴くとニュータウンの中にある真夜中の閑散とした道路、河川敷、あるいは遠くにみえるごみ処理場の煙突を想起する。何に救いを求めるわけでもない、自分の中にこそ革命をもつ、みたいな気持ちがうまれる。

 

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